全 体 講 演

全 体 講 演    「上手に入れよう、やる気のスイッチ」

遠山 弘詞  氏

グループでの討議はお互いがそれぞれの助言者になっていますね。とてもいい場です。私も参考になりました。私は35年間の間で、塾と公教育を両方経験してきましたが、PTAの皆さんを前にこうして話すのは初めてであります。私も多少関わりは持ってまいりましたが、こうしたPTA活動の意義には、学校の独りよがりを抑制する役割もあるのではないでしょうか。

さて、学校とは何だ、と問われて即答するのには少し時間を要するわけでありますが、スクールの原語はギリシャ語の「スコーラ」に由来しまして、「暇」「暇つぶし」などの意味になります。日常生活の余った時間の中で、教養を高めると言う意味なのでしょう。日本の学校は明治5年以降、150年間にわたって一斉授業が基本になってきました。全国にいたるところに学校を建て、国家の発展は個人の成長と同じことと考えられ、整備されてきました。しかし、不登校と言う社会現象の中では、一人一人がクローズアップされるようになりました。そのため、町では個別指導が中心になり、個人にあった教育方法が施されてきたわけであります。でも欠点もあります。限られた教科に絞られ、幅広く指導はできません。学校の場合は一斉授業の中で多くの教科を指導が可能で、しかも人格陶冶の場にも発展していきます。したがって、それぞれが役割を果たすわけであります。いずれ社会人になるわけですが、社会はどんな人材を求めているのでしょうか。昔は両親の言うことを実行できる子、現在は課題をすぐ解決できる積極性や自主性であります。大阪大学の山崎名誉教授によると、大学は社会への待ち時間になっていて、学生は将来を見通していないと指摘し、できることが無いから目的もないと批評しております。つまり、自分でできることを認識する力が大切と説いているわけです。大学でも能力別の学習を実施しなければならない訳がありまして、提出レポートが読み取れなくて、苦戦しているようであります。

3年に一度実施されるPISAの学力調査で、学力と共にアンケート結果も報告されております。それによると、「勉強が好き」「役に立つ」の問いに、「いいえ」と応える生徒が、日本人が一番多いと言う結果が出ているわけで、大変な問題であります。つまり、「意欲」「やる気」は、目的意識をもって物事に取り組む努力を継続することにあるわけですが、勉強をする理由が、悪い点をとると恥ずかしいとか、母親にしかられるからなど、後ろ向きで、「建物が好きだから」「数学が得意だから」建築家になりたいなどの目的につながらないわけであります。それを改善するには学校だけではなく、家庭でも環境作りが大切であります。大切なのは、自分から進んで取り組む機会を多くすることであります。その中で、「ちょっと困る」場を設定すると、いろいろな体験を通して解決した後についてくるのが自信や達成感であります。学校に於ける部活や生徒会、ボランティアがそれに値します。別な調査では、父母への親近感について先進国の多くが70~80パーセントで、日本人は母親に対して25パーセント、父親に対しては13パーセントと言う結果になっております。

これは同時に対話量にもつながるわけで、「言わなくても判るだろう。」と親子の信頼から生じた数字ともいえます。社会との関わりの始まりは家庭でありますから、これでは社会から遠ざかるわけであります。高田屋嘉平を扱った司馬遼太郎の小説の中で、「片手で拍手はできない」とありますが、言葉も相手がいないと成り立たないわけであります。東大の林先生は、「父親の役割が大切」と説いております。自分の幼少時代の話をしてあげることで親近感を、仕事の話題では社会との加関わりを、新聞やテレビの話では社会に興味を、一緒に遊ぶことでルールをと言った学びの場がおのずと設定されると言います。母親はどうかと言うと、「早くしなさい」「勉強終わったの」と言った命令形にはなっていないだろうか。それは、子どもとの一体感から生まれる言葉で、子どもは理解に戸惑い、傷ついてはいないだろうか。必要なのは「ほめ言葉」であります。精神科医の斎藤先生は、奥様の料理に、「うまい」と叫ぶ理由に、感謝、そして自己暗示の意味を持たせるそうであります。改めさせる前に先ず認めることが大切と言います。しかし、むやみに褒めても意味が無く、タイミングが大事になります。もっと大切なのは喜ぶことであります。「わぁ嬉しい」と言われた子どもは一体感を味わうことになるからです。次に「えらいわねー」、一番身近の母親の役割はとても大事であります。作家の吉井先生は、言ってはいけない言葉として、「どうせ」「せっかく」をあげています。それは、次にくる言葉がマイナスの言葉につながるからだと言います。つまり、いい言葉のやり取りが重要になるわけであります。

大村はま先生は、言葉を育てると言うことは心を育てること、心を育てると言うことは人を育てると言っております。どうもありがとうございました。